松本清張論
砂の器、点と線、ゼロの焦点など多数の著作がある。
しかし、その文体、迫力は凄まじい。日本語の表現能力を最大限に使用して読者をその世界に引きこむ力がある。
私は、松本清張の著作を続け様に読んだ期間がある。そして、夢にまで自分が犯罪の現場に居たかのような疑似体験だ。誰もが持つ心の闇の世界を、巧みな文章力で現実と非現実の狭間に導きいれる。
そんな日本語の操作者は多くはいない。
悲しみ、もだえを表現することはそれよりやさしいと思う。そんな著作は数多くある。
文のみによって、読者を現実、非現実の境界の無い世界に誘導する。そんな力を持ったミステリー作家が松本清張だと思っている。
松本清張のこの重たい世界、問いかけをきちんと受け止める力は私には無い。松本清張はなぜこのような文体を駆使することが出来たのだろうか。インターネット検索できた松本清張の経歴にはそのヒントとなるエポックは見つからなかった。
『人気blogランキング』の「自然科学」部門に参加しています。自然科学ネタではないが、理数系人間の一度は通る道。
今日も元気に【押す】 よろしくお願いします。
「随想」カテゴリの記事
- 自分の身は・・・(2012.04.13)
- 百万本のバラの花(2012.04.08)
- アナログとデジタル(2012.03.12)
- 工業製品の使いこなし(2012.03.05)
- 自分の見える世界(2012.02.24)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
清張が女性誌にサスペンスや純愛モノを多く書いていたことはあまり知られていないようです。有名な『霧の旗』もそうですね。女性主人公の作品もたくさんあります。女性が読んでもさほど違和感がありません。
インタビューで「女性にもてたことがないので、客観的に見ることができた。それが作品に活きているのかもしれない」と答えています。
私も清張はよく読んでいますが、3冊くらい続けて読むと気持ちがどんよりしてくる、のが玉に瑕です。。。
投稿: アマサイ | 2007年1月30日 (火) 10時50分