大学全入時代3
←ピンクのミニバラ。去年の息子からの贈り物 、まだ、鉢植えのままだが、もう一輪蕾がついている。
少子高齢化に伴う社会的負担の再配分が求められている。
教育機関も例外ではない。
義務教育は別として、高校以降の教育は能力と意欲に応じて機会均等であるべきだと考えている。
大学レベルでは、下宿させて理系私立大学に通わせるなら、親が新人社員を一人直接雇うくらいの費用がかかる。しかも、下位大学では、高校レベルから再学習させざるを得ない。当然、大学で学べる内容が異なってくる。
大学入試も、その学科で必要な素養を必須として課さない大学も受験生集めのための施策としてまかり通っている。大学の自殺行為であろう。このような科目は、負担の多い数学・物理系に多くある。そして、入学後、大学側は手厚い補習授業でその欠落を補っている。補わざるを得ない。大学の質の低下である。
また、大学の講師陣は研究者を兼ねていることが多いからから、多くの先生方は大学院で研究者としての訓練を施す。鋭く狭い分野を扱うことが多い。これは、企業が求める人材像とは異なっている。
私は現在の大学の定員総数は多すぎると考えている。そして、下位大学を国費で支える理由はないと考える。なぜなら、大学・大学院で学ぶに足る意欲と資質を持つ学生の総数より大学院の定員がはるかに多いと思われる。
大学院での訓練の多くは研究者としての訓練が多い。そして、将来も研究者の道を志向することが多い。実務・企業では、研究職は一握りであり、かつ、研究テーマも時代とともに変遷を遂げる。必要なのは、課題を見出す感性と問題解決の実行力なのだ。
論文種になりにくい分野は、教える側の方も経験不足である。たとえば電磁気学を学んでマクスウエル方程式を知っていたとしても、インダクタを扱えなければ実学としては役に立たない。
それに加えて、身の回りにはハイテク家電品があふれ、子供たちはバーチャルの世界で遊ぶ。各種学問の基礎体験がかなり少ない。欠落している。
原理を知らないで、使う機器ほど怖いものはないが、その感性の伝承は希薄である。
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