失敗学のあり方
チームでの仕事の成否は、取りまとめ役(リーダー)の資質・技量に大きく左右される。失敗仕事の再構築には私なりの考え方がある。
決してチームメンバーに失敗の理由を聞くことはしない。そこでは真実が語られることはまずないと考えているからだ。不具合事項なら現在の事実なので、秘匿されることは少ないし、隠しても無駄だ。そこに真実に迫る真の原因が存在する可能性がある。
アナログエンジニアは失敗開発の再構築ややり直しのできない開発を幾度か経験している。
このような場合、当然失敗の当事者のリーダーは代えるし、上長のコメントには拘泥しない方が良い。チームを組むことは、それなりのいくつかの分野の専門家が入る。
専門家はそれぞれの経験・知見を持っている。これを生かさない道はないだろう。ただし、成功率の低い技術者の意見は割り引く必要があるが、現状の問題・課題に関しては口を開くのが常である。
私は失敗学を肯定も否定もしない。こと工学的な問題に関しては、専門家の意見、見方、・知見や把握した事実は失敗の原因を探り、それを教訓として生かすための必要条件と考える。
失敗は属人的、属組織体質的なものが普通だ。物が言える環境がないと、次の改良・開発での課題・問題の把握漏れの確率が増加する。誰もどの組織もふつう自己否定することはない。責めてはならないのだ。
センサ開発でも、今、話題の原子力事故でも同様であると私は思う。
しかし、報道によると事故調査は原子力の専門家を排除した形で行われるらしい。専門家を排除すれば、設計情報やシステムの構築思想が希薄にしか判らない筈だ。
真実は少なくとも事実の上に論理的にそして人間や組織の論理を勘案して、矛盾を解消する作業となるべきだと思う。
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