文系・理系
文系・理系という言葉が使われるとき、多くの場合、理系はビジネスや組織を知らないと暗にいっていることが多い。
理系人間が、その言葉の背景にある文系人間の驕りを知らないとでも思っているのか!
アナログエンジニアはこの手の類型的な言い方に強く反発を感じる。文系はもっと科学技術のことを勉強して発言すべきだろう。なぜなら、現在の日本は科学技術、それも、物を作る力で成り立ち、生活の隅々までその恩恵を受けて生活しているのだから・・・・。
文系人間は確かに存在する。官僚においても、理系人間は亜流である。
理系人間が発言すれば、端的に説明するには技術用語を使わざるを得ない。それがまた、軋轢の元となる。種々の科学技術が絡む現在の日本では、定量的に物事を評価しなければ判断を誤るが、今は、そのときではないだろう。
原子力に端を発した自然力(再生可能エネルギー)発電も然り。太陽電池発電のみが途方もないお金で全量・固定で買い取られるシステムの議論が進められている。不自然極まりない。隠れた税金であるとともに、それで多額の利益を生む「経営者」が出現することだろう。
文系人間が理系人間の支配的存在になろうとする限り、日本の物つくりは安楽死の方向に向かわざるを得ないだろう。
文系人間は他人への関与に多くの時間を割くことができるが、理系人間が同じことをやろうとするなら、茨の道である。
そんな不条理な道を、理系の親は積極的に子に勧めることはできない。
数学や物理・化学を避けて通った学生の多くは文系人間の道を歩む。理系人間の多くは、研究者的訓練しか受けていない。これが日本の現状だろう。
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