著作の文体
アナログエンジニアは書き物をするとき、普通は紛れのない文章を意識的に書く。
当然、紛らわしい、特に掛り受けが明瞭でない文章は一目でわかる。そうでなければ、紛らわしくない文章は書けないのだ。瞬時に意味が2つ3つに分枝する文が判る。話言葉においてもそうだ。たいていの人は正確で紛れのない言葉を話すことは少ない。
この点は録音してみればより一層明解になる。
曖昧な言葉を話す人は思考自体もぼんやりしている傾向も強い。曖昧な思考用言語を使っているから、自分自身で、そのことに気づくことは少なく自覚症状がないから始末が悪い。
長文においては論旨がまず明快であることも大切だ。無駄な接続詞が多く含まれる。論旨が明快なら、そんなに接続詞を多用する必要はない。
一冊の技術本は図も字数に換算すると、1ページ2000字、1冊で約50万字となる。長文を書くにつれ、文章力が浮き彫りにされる。その背景にある知恵も浮き彫りにされる。
私の場合には、ほぼ総てがオリジナル図表か許諾を得た図表であって、随所に簡単には崩れないように作ってある。写真は簡単に増やせるが図表はそうはいかない。
オリジナル図表の多い書籍は、良書の必要条件でもある。
技術書に余計な形容詞、副詞はいらない。これも私の信条である。
例えば「高い周波数」は強電分野では60Hzを超えたら高周波となる。通常のアナログ回路ならプリント基板で集中定数として扱える帯域までを指す。通信分野なら、GHz帯の下の方は「高周波」とは言わない。中間的に数10-100MHz帯域を扱う分野もある。
専門分野が違うと形容詞などの指す意味が違うのだ。逆に、形容詞の使い方一つを見てもその人の素養の幅までもが判る。違いが判らない人間は、研究者とは言えないだろう。しかし、専門バカが多数存在することも否定できないのが現実である。
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